論文紹介


 医療の原点を考えた改革を〜医療現場より医療政策提言〜 

笠松 正憲


愛知政治大学院 論文個人政策研究(2007.3作成)

コメント: 愛知政治大学院で、論文個人政策研究として書いた論文です。


<はじめに>

 私は皮膚科開業医である。「大学の医師派遣打ち切りによる地方病院の崩壊」「医療保険の財政問題」など医療問題が頻繁に話題になる。日本は1961年の国民皆保険実現以来、医療保険制度が年々整備の進んでいく医療提供体制とともに、国民の安心と生活の安定を支え、世界最高水準の平均寿命や高い保健医療水準を実現してきた。しかしながら、高齢化、経済低迷、国民の意識変化など医療を取り巻く環境は大きく変化しており、医療保険制度を将来にわたり持続可能なものへと再構築していくために、その改革が求められている。これは、国民生活に直結する課題であり、政府は目指すべき将来の医療の姿を十分明らかにし、国民の理解を得ながら議論を進めていく必要がある。また、将来に禍根を残すことのない改革を遂行しなければならない。日本の医療現状を鑑み、医療現場より問題点を数点指摘したい。

(1)「新医師臨床研修制度」の廃止提言

 医師の特定地域への偏在および医師不足(特に地方の病院)は深刻である。その最大の原因は「新医師臨床研修制度」(以下「新制度」と略す)であると考える。医師免許取得後2年間の臨床研修はこれまで努力規定であった。それが、平成16年4月から必修となり研修が義務化された(表A)。「平成18年医師臨床研修マッチングの結果」 1) によれば、来春新卒医師の臨床研修先は大学病院が48.8%であり大学離れをおこしている(参考:旧制度の大学病院研修は71.2% ) 2)(表B)。また、臨床研修医充足率(募集定員に対する割合)を都道府県別でみると、最高が東京の90%で、以下京都、福岡の順。最低は新潟の40%で、鳥取、富山、三重、青森と続く。加えて、臨床研修終了後の進路(卒後3年目医師の進路)も同様の傾向があり、大学病院での研修・勤務は48.6%と5割を下回っている 3) (表C)。「新制度」は新卒医師の進路を大きく変えてしまった。一般社会人の就職が都市偏重であるように、研修医にとっても「新制度」は自由な就職活動機会になった。「新制度」が医師の大学離れ、医師の都市集中を生んでいるのは明らかである。大学に研修医が残らなくなり、大学医局は人手不足になる。医局の医師派遣余力が小さくなり、結果、これまで大学医局を供給元にした関連病院に対する医師供給システムに破綻をきたした。研修医を集めにくい地方大学ほどこの状況は厳しく、さらには関連病院の中でもより僻地にある病院は希望者が少なくさらに影響が大きい。これが、地方病院の崩壊の真相である。「新制度」導入にあたり、大学側は,臨床研修終了後(卒後3年目)の医師は、以前のように大学へ戻るだろうと楽観視していた。結果は、大学へ戻ることはなかった。
 そもそも、日本では1974年「一県一医大(無医大県解消)構想」 4) が掲げられ、人口の分布とは一致しない形で医学部学生が全国に分散していた。卒業後、出身地に帰る者、都会へ研修に出る者も存在していたのであるが、多くは卒業大学に根付く(すなわちその県の医療従事者となる)システムであった。「新制度」は、「一県一医大(無医大県解消)構想」の医師分散効用を打ち消してしまった。医局制度には人事権を握る教授が、過疎地の関連病院に半ば強制的に医師を配置する側面があり、医師配置の不均等を是正する機能があった。「新制度」にも利点がないわけではない。独立行政法人化した大学病院や臨床研修病院が、研修医獲得のためにさまざまな創意・工夫をするようになった。研修医に選択権があるので、魅力のある組織でないと研修医が集まらなくなった。このことは、評価すべきである。しかし、医療は”社会資本である”という考えで守られてきた分野である。国民の命を守る使命を持った医療分野に自由競争市場原理を無批判に持ち込んでよいものであろうか。
 大学病院は、診療人員とともに教育人員も備わった教育機関である。日々の診療に追われる臨床研修病院より、医師教育の受け皿として適しているのは当然のことである。私は、大学病院にこそ新しい時代のニーズに耐えうる医師臨床研修システムを構築すべきと考える。厚生労働省の目的は(1)専門の診療科に偏った研修の是正(2)研修医の処遇改善と研修に専念する環境(3)客観的な研修成果の評価<出身大学やその関連病院での研修では評価不十分>である。これらが新制度への移行で解決されたとは評価できない。大学病院の医師臨床研修システムの改良で十分達成できるものと思われる。私は「新制度」廃止を提言したい。

(2)女性医師の活用提言〜医師増員政策の前にすべき政策〜   

 医師不足が問題となったのは、これがはじめてではない。1961年の国民皆保険の実施に伴って医療需要が拡大し、医師不足が政治問題化した。そこで、1974年に「一県一医大(無医大県解消)構想」がスタートし、医学部入学定員の増加が政策的に計画された。1979年沖縄県琉球大学の医学部開設をもって全都道府県での医師養成が可能となった。医師増加政策の始まりである。ところが、その琉球大学医学部の第一期入学生がまた在学中の1980年代初めに、既に行政改革と医療費適正化の対策の一つ(臨時行政調査会第三次答申)として医師数の削減を始めた。当時話題になったのは、逆に医師過剰問題だった。医師過剰キャンペーンには、医療の供給側を絞ることによって医療費増大に歯止めをかける狙いがあった。10年にも満たない期間で医師削減政策へと逆の舵を切ったのである。その意味では、現在の医師不足はこの20年間にわたり新卒医師を減らし続けた政策的結果 5) (表D)であって、当然の結末である。医師数削減の答申に利用された推計は実に粗いものだった。高齢化社会到来を考慮していなかったばかりか、若手医師が勤務の過酷な診療科をさけたり、結婚や育児との両立に悩む女性医師(以下「女医」と略す)の存在も想定していなかった。日本の医療政策が場当たり的で一貫性がなかったことの責任とも言えよう。
 「新たな少子化対策の推進」で産科及び小児科医療システムの充実が項目として挙げられている。子供を生みやすい、育てやすい環境として、産科、小児科の充実は必須である。ともに女医が大きな割合を占めている。女医の医師全体に占める割合は15.6%にすぎないが、産科で20.6%(40歳未満で42.2%)、小児科で30.7%(同40.6%)である。「小児科産科若手医師の確保・育成に関する研究」報告書 6) は「小児科医は最近10年間、むしろ僅かながら増加しているが、実際の活動性は明らかに低下している。その最大の原因の一つは、女医の結婚、出産、育児のための離職」と分析している。仕事と子育ての両立が困難で離職する女医は多い。女医が仕事と家庭を両立できる環境の整備は医師不足対策の重要なポイントといえよう。私は医師不足解消策として休職女医の有効活用を提言したい。すなわち「女性医師バンク事業」の育成及び活用である。復職したい希望を持つ女医が、パートタイム勤務など就労希望条件を登録して、条件にあう医療機関を選定しやすくする事業、それが「女性医師バンク」 7) である。さらには、女医2人で1人分の仕事を分け合う働き方<ワークシェアリング>も検討に値するのではないか(日本では社会保険などの保障や給与体系の抜本的な変革が必要であるが)。医学部入学者数を増やす前に、即効性のある政策はまだあると私は考えている。

(3)財政にとらわれない医療政策議論を提言(日本の医療費は適正か?)

 「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006」 8) に示されているとおり、政府は医療費の大幅削減を目指している<2006年度の社会保障費31.1兆円に対し、2011年度には自然体で39.9兆円になる。これを政策的に1.6兆円削減し38.3兆円に圧縮するという計画である>。政府の現在の医療に対する見解は「マクロ的な数字自体に過大な問題があるとは思わない」すなわち「医師は基本的には足りている」とのことである。本当にそうだろうか?診療報酬改定の度に入院病床が削られ、外来で入院させたい重症患者があってもなかなか入院させられない。夜間当直の翌日も、普通に外来診療をしなければならない病院勤務医の現状。そもそも、現在の日本の医療費は本当に適正水準なのだろうか?
 「OECD Health Data 2006」 9) によると、2004年の対GDP比総医療費支出(介護保険サービス費や健康・予防関連の費用、管理コストなどを含むコスト)のランキングで、日本はOECD(経済協力開発機構)加盟30ケ国中21 位である(表E)。1996 年のデータでも、29ケ国中21 位であり、日本は医療費においては後進国である。1人当たりGDP が平均以上の国で、1人当たり総医療費支出が平均以下なのは日本、イギリス、フィンランドの3か国である。日本は経済力(GDP)に比べて、総医療費支出が抑制されているのがわかる。また、国民1人当たりGDPが平均以上の国の中で人口当たり医師数は最下位である。現在、各国は医師数を増やして医療の質を上げる努力をしているが、日本は大きく立ち遅れているのが読み取れる。
2004年度の国民医療費は70歳以上の医療費の割合が初めて40%を超えた(総額32兆1111億円に対し、65歳以上で16兆4097億円<50%以上>、さらに70歳以上の医療費は13兆0414億円<40%以上>)。高齢者医療費の伸びにどう対応するかは医療制度改革の継続的な課題なのは間違いない。改革の課題は、国民皆保険やフリーアクセスの原則を守り、限られた財源の中で、将来とも良質な医療を確保し、持続可能な皆保険制度に再構築してことである。しかしながら、近年の医療制度改革試案は「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006」の方向性に配慮するなど、基本的には当面の財政収支の修復に終始しているに過ぎない。 国民の健康の維持・増進を図り、医療、保健、福祉の向上に努めるべき国の責任については、全く言及していない。 医療の本質を理解せぬまま、財政偏重の誤った改革を遂行すれば、将来、必ずや国民の健康不安を招来するばかりか、国家のあり方をも誤った方向に誘導しかねないことを政府は強く認識すべきである。日本の医療提供体制は現状ですら先進諸国に大きく水をあけられている。これ以上の高齢化が進む前に医療提供体制の再構築に向けて検討し、必要な医療資源を確保するための新たな財源手当ても検討する必要があると私は考える。

<終わりに>

 医療とは、心身の苦痛や不安を持つ病者が最良の治療を望み、医療提供者は生命の尊重を第一義として、最善の治療によって病者を癒し、健康の回復に努めるという、極めて人間的な活動を原点とする。 両者が求める最善の治療の選択において、健康や生命の価値を価格に換算することは決してない。医療の対価は、常に科学的専門性と倫理的自律のもとに成立してきたものであり、いかなる改革においても、この普遍的理念を阻害してはならない。    以上。


表AからE(PDFファイル)


    文献

(1)「平成18年研修医マッチングの結果」(医師臨床研修マッチング協議会 平成18年10月発表資料)
  http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/10/dl/h1019-1a.pdf
  http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/10/dl/h1019-1b.pdf 
  http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/10/dl/h1019-1c.pdf
(2)「研修医の処遇に関する調査」(文部科学省・厚生労働省調べ)
(3)「平成17年度臨床研修に関する調査中間報告」(厚生労働省研究班)
(4)「学制百二十年史」(文部科学省)
  http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz199201/hpbz199201_2_135.html
(5)「第1回医師の需給に関する資料(全国医科大学医学部入学定員の年次推移)」(厚生労働省)
  http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/02/s0225-4c11.html
(6)「小児科産科若手医師の確保・育成に関する研究」(厚生労働省)
  http://www.mhlw.go.jp/houdou/2005/06/h0628-2.html
(7)「厚生労働省における政策評価に関する基本計画女性医師バンク(仮称)」(厚生労働省)
  http://www.mhlw.go.jp/wp/seisaku/jigyou/05jigyou/05.html
(8)「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006について」
  http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2006/0707/item1.pdf
(9)「OECD Health Data 2006」
  http://www.oecdtokyo.org/pub/pub_ads/dyk_hd2006.html


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